「あー……、なんてぇーってんだったか、それ」
 ことん、と机の上に置かれた小さな鉢植えを見て、アインが首を傾げる。
 「ヒイラギ、だ。知ってんのか」
 手のひらに収まってしまう、小さなそれ。見つめながら俺は微かに笑った。
 山に生えるこの木は、とげとげの硬い葉を持つ。山の中でゲリラ的に動く兵士にとってはまあまあの嫌われ者だ。
 こうやって鉢植えにされることは、俺達ヒューマン以外の種族ではあまりない。だから、アインがこの木の名前を知っていたのは少し驚きだ。
 「まァな……」
 ベットの上で長くなったまま、目を細めて鉢植えを眺めている。

 久しぶりの休日。
 作戦と作戦の間の、暫くの休暇。
 拠点となったのは港町で、召集がかかるまで、少しの間の自由をみんな楽しんでいる。
 買い物に行く者、酒場に行く者。
 俺達は2人にあてがわれた部屋で、今日は1日、のんびり……(と、したい所だが、ほぼ俺だけ半分は書類仕事)をしている。寝そべっているアインは、俺に付き合うという口実の、サボリだ。

 「仕事ォ、終わったのかよ?」
 俺を見上げるアインの、シルバーグレーの耳がひょこひょこと動いた。もし尻尾があったら、ぱたんぱたん、左右にゆっくり振ってそう。暇なんだぞ、のアピールに思わず苦笑い。
 「まだ。とりあえず出来たの持ってったら、これ、どうぞって」
 机の上の鉢植えに手を伸ばして、緑の葉をそっと撫でる。
 書類を出しに行った事務所で出逢った。俺と同じヒューマンの、しかも年配の女性。
 ヒューマン自体があまり見なく、珍しいのに、更に年配の女性が解放軍の事務にいることに驚いている俺に、その人はこの小さな鉢植えを一つ渡してくれた。
 ヒイラギの、鉢植え。
 「ここにいる間だけでも、机の上に、どうぞ」と言った彼女の微笑みは、母のようで。
 本当に久しぶりに感じた、心ごと包み込まれるような感覚に、俺はお礼を言ってそれを受け取った。

 ヒューマンの祝日、クリスマスのヒイラギには意味がある。
 ヒューマンのみに伝えられる言い伝え。
 遠い遠い昔、神の子が、全ての人の罪を背負って貼り付けにかけられた時、滴ったその血を受けてヒイラギはその実を赤く染めたのだと。
 神の子の血を受けた聖なる植物。そして、クリスマスは神の子が生まれた日。
 手渡されたヒイラギは、全ての罪を赦す、神の子の象徴。
 あなたの苦しみが赦されますよう、という、祈り。

 「ふん……」
 つまらなそうに鼻を鳴らして、ごろりとアインは天井を見上げた。
 「救いなんざこねぇよ。くだらねぇ」
 「……知ってるのか?」
 ヒューマンの言い伝えを、異種族のアインが知ってる事に驚く。
 「ああ」
 天井を睨みつけた目。フッ……力を抜き、とその目が閉じた。
 「――昔、そんな事を言ってたヤツがいたんだよ」

 よくある話さ。
 行軍中に立ち寄った小さな村。
 ちょうど今頃だったか。ヒューマンが多い村だった。
 雪の中に立つ、木造の家々。居酒屋の暖炉には薪がくべられて、中はいい匂いがしてた。
 そこにチビが1人いてな。ウルフリングが珍しかったんだろう、俺に纏わりついてきてな。
 ヒイラギを一枝、その時俺に押し付けやがった。
 「神様にお願い事、するといいよ」なんて言いながらな。
 居酒屋の店主に聞いたら、なんだ? その、神の子とかいう話を聞かされてな。
 「子供は、クリスマスにヒイラギを飾って神様に願い事すると叶うと信じてるんです」なんて言いながら、
笑ってたなあ、おやじ。
 目的地はそこから1週間もない所だったか。
 作戦を終えて帰還する途中、その村を通ったら、廃墟になっちまってた。
 ひでぇ有様だった。死体がそのまンま、ごろごろしてやがる。
 チビはどうした、生きてないか。どっか隠れてないか。と探したぜ。ガキってのは隠れてて助かる場合もあるからな。
 居酒屋覗いたら、いたよ。
 倒れてやがった。もちろん死んでた。
 ヒイラギの下で。

 よくある話だろ? と、俺を見ずに、アインは呟く。
 鉢植えから手を離し、ベットに、アインの傍らに腰を下ろす。
 救いなんざこねぇよ、と呟くアインの髪に微かに触れ、一瞬戸惑い、指をその髪にくぐらせる。
 さらさらとこぼれる銀の糸を、ゆっくりと、落しては掬い、落しては掬い。

 殺伐とした日常の中で。
 命のやり取りの極限の中で。
 だからこそ、ふともたらされる、純粋で優しい思いは、強く焼きつく。
 だからこそ、それを失う時、麻痺して動かなくなった感情が動き、傷を刻み付ける。
 もし救いなんてものがあるなら、どうしてあの子が救われなかったのか。

 「……それでも」
 アインが俺の方に身体を傾け、寝転がったまま俺の腰を抱くように腕を回す。
 俺は髪をすき続けながら、目を伏せ、呟く。
 「救われると、信じたい」
 起き上がったアインが、背後からその胸に俺を収めるように、静かに抱きしめる。
 抱きしめる腕に自分の手を沿わせ、指を重ねる。
 「いつか」
 俺も、お前も、遊撃隊のみんなも、みんな、みんな。
 赦されると。救われると。

 俺の手をすくい、肩越しにひっそりと、指先に、くちづけを、一つ。
 静かに振り向いて、重ねるだけの、くちづけを。

 言葉のないまま。
 ただ、祈った。

 

 互いを想って。



〜「Pray」END〜

  後書き